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松本人志の父・譲一さんの死  確執の真相! [家族]

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松本人志は、日曜朝のトークバラエティ番組「ワイドナショー」で
父親の譲一さんが亡くなったことを公表しています。

松本人志の父親の譲一さんが、享年81歳で亡くなったのは8月18日。

父の密葬を終えた松本人志は、8月31日放送の「ワイドナショー」で
父の死を告白。

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http://takastone.blog.fc2.com/blog-entry-311.html


松本人志と父親の譲一さんの間には、確執があったようです。

松本人志自身がそう語っているので、”そ~か”と思ってしまいがちですが
実は少し違うようですね。


松本人志は、父親の譲一さんとの思い出をこう語っています。

幼少の頃「捨てられそうになった」という経験。

「暑い日に父親が”涼みに行くぞ”言うて、カブに乗せられて。夜なのに
遠くまで行って、カブから降ろされたらそのまま親父が離れて行こう、
離れて行こうとして。”ああ、これたぶん、捨てられるんやなぁ”と思って、
親父から必死で離れないようにして・・。」


その後の父親との関係も、

「折り合いがよくなかった。オレのことを1度も褒めてくれなかった。」

「九九を覚えていないという理由だけで、“お前みたいな奴は、何やったって
アカン!” しかも、そこまで言うかというぐらい無茶苦茶言われたのよ。」


ただ、これは松本人志から見た話です。


母の秋子さんはこう語っています。

「それは人志の誤解ですよ。お父さんは、人志のことをずっと思っていました。
ただ、父親は男の子に細かいことまで言いません。人志も子供でしたから、
お父さんをそんなふうに思ってしまったのかもしれません」



松本人志が芸人になるといった時、父の穣一さんは猛反対したそうです。


ブレイクしてからも、”父から一度も褒められなかった”と松本人志は
話しています。


母の秋子さんや兄の隆博さんに言わせると、ちょっと違うようです。

「お父さんにはジェラシーがあったのでしょう。だって、あの子が
自分より面白いから。」

「人志は高校を卒業してすぐ吉本に入りましたので、お父さんと
じっくり話す機会はなかった。けどテレビに出るようになると、
お父さんは人志を褒めていたんですよ。」


兄の隆博さんは、ブログで父の穣一さんをこんな風に紹介しています。

「弟が売れてテレビで出だした時でも”たしたもんやな、たしたもんや”と
目じりにしわ寄せ嬉しがったくせに、弟の前では決して面と向かって
褒めない、そんな父。」


お父さんが素直でないのと、褒めてもらいたかったのに
そうでなかったと恨む息子。


松本人志は父・謙一さんが亡くなった時、

「親父が死んだ。。。 オレは悲しまない。 あの人とはいろいろあったからな。
葬式で帰省。あの人と暮らした尼崎を少し歩いた。あの人と子供の頃行った
太陽の塔を見に行った。あの人と食べたチキンライスを食べたらさすがに
いろんな感情が押し寄せて来やがった。。。 親父。さいなら。」


松本人志は、父親の穣一さんと食べたチキンライスの思い出を作詞に

そうして出来上がった、槇原敬之作曲「チキンライス」

浜田雅之と槇原敬之が歌っています。




「チキンライス」の曲は、松本人志の父・謙一さんへの想いが一杯
詰まっているようですね。

何かじ~んとしてしまいます。


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